国譲り神話から続く天皇の在り方

出雲国譲りは、日本神話において重要な位置を占める出来事です。この神話は、大国主大神が出雲を他の神々に譲る過程を描いており、日本の国の成り立ちや神々の権力争いを象徴しています。出雲国譲りは、単なる土地の交渉だけでなく、日本文化や信仰の根幹に関連する深い意義があります。今回はその意義に留まらず、現在の日本国の象徴たる天皇の在り方まで深堀りしていきます。

出雲国譲りの基本概念

出雲国譲りとは何か

出雲国譲りは、日本神話の中で大国主大神が出雲を天照大神の子孫に譲る出来事を指します。この神話は『古事記』や『日本書紀』に記されていますが、国譲りの背景には、権力の交代や神々の意志、そして土地の重要性が描かれています。出雲国譲りは、政治的なメッセージを持つだけでなく、日本の神々の信仰や文化、歴史を後世に伝える役割も果たしています。


国譲りのあらすじ

天照大御神(あまてらすおおみかみ)は、邇々芸命(ににぎのみこと)に豊葦原水穂国(日本)を治めさせたいと考え、建御雷神(たけみかづちのかみ)と天鳥船神(あめのとりふねのかみ)に様子をうかがわせるよう命じます。
建御雷神と天鳥船神は出雲の稲佐の浜に降り、大国主神に国を譲るかどうかを問います。
大国主神は、自分の子どもの事代主神(ことしろぬしのかみ)と建御名方神(たけみなかたのかみ)がよいといえば譲ると答え、事代主神は快諾し、「この国は天神の御子に差し上げましょう」と答えます。

しかし、建御名方神は納得がいかず、力比べをしようと言います。建御雷神と組み合った建御名方神の手は、つららの様に凍り、剣の刃のようになってしまったため、逃げ出します。建御名方神は、信濃国の諏訪湖まで追いやられ、最終的には観念し、国譲りを承諾します。
最後に大国主神は、自分が隠れ住む宮殿を、天神の住む宮殿のように造ることを願い、そこに移り住むことにしました。これがのちの出雲大社です。

こうして国譲りの話がまとまり、大国主神から天照大御神の孫の邇々芸命へと無事に国譲りが行われました。


出雲国譲りの背景

日本神話の時代背景

出雲国譲りが行われた時代は、神々が地上に住んでいた時期であり、さまざまな神々が土地を巡って争っていました。この時期、日本がまだ一つの国として統一されていなかったことから、各地方で勃発する神々の権力争いの様子が見受けられます。出雲国譲りは、これらの神々が日本の土地を誰が支配するかを決める時代背景にも代表される重要なエピソードとなっています。


大国主大神の意図と葛藤

大国主大神は、出雲国を支配し、繁栄をもたらした神ですが、彼自身は争いや戦闘を嫌い、平和を重んじる存在でもありました。そのため、出雲国譲りの決断は、彼の持つ平和への強い願いと新たな時代の到来を受け入れる葛藤の結果でした。大国主は、土地を譲ることで、後に続く神々がこれからの国造りを進める機会を与え、争いを避けることで日本全体の調和を保とうとしたのです。このような意図は、出雲国譲りが単なる土地の交渉ではなく、未来に対するビジョンに基づいていることを示しています。


現代にまで続く天皇の統治

天津神と国津神の統治の違い

出雲国譲りの神話では、建御雷神と天鳥船神は稲佐の浜に降り、大国主神に国を譲るかどうかを問いました。この時、二柱の神は「あなた方が“うしはける”葦原中国は、我が御子の“しらす”国ぞ」と言って国譲りを迫りました。まず“うしはく”というのは、領有する、という意味の言葉で、これは力や権力をもって統治することを言います。一方、“しらす”というのは、慈悲や徳でもって統治することを言います。


象徴天皇は日本を“しらす”

日本国憲法第一条に「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく」とあります。この日本国の象徴というのは、その存在を以ってして統治することを意味しています。

“しらす”とは、漢字にすると“知らす”とも書くことができます。つまり知ること。知ることで統治するとはどういうことか。東日本大震災の時の天皇陛下の姿を思い出してください。陛下は直接、被災者の元へ行き、同じ目線に立ち、一人一人丁寧にお話を聞かれていました。

まさにその姿が象徴するように、天皇という存在は、国民のことを知り、寄り添って、国が治まるようにと神に祈ります。それは今回説明してきた、出雲国譲りの神話内で神々が言った言葉そのもの。神話の時代から変わらない方法で日本を統治しているのが、日本国を象徴する“天皇”という存在なのです。





いかがだったでしょうか。出雲国譲りの神話の中には、現代にまで続く考えが書かれている重要なエピソードだということが分かったかと思います。同時に天皇という存在の偉大さのようなものにも気づいていただけたら幸いです。