天照大御神の誕生 ― 光の神のはじまり ―

日本神話の中心に位置する存在、天照大御神(あまてらすおおみかみ)。伊勢神宮の内宮にお祀りされ、皇室の祖神としても知られるこの神様は、私たちの国の精神文化に深く根ざしています。その神聖な御姿のはじまりは、古代の神典『古事記』に記されています。今回は、天照大御神の誕生について、わかりやすく紐解いてまいりましょう。

イザナギ命と黄泉の国の物語

天照大御神の誕生は、その父神である伊邪那岐命(いざなぎのみこと)のある行動に端を発します。伊邪那岐命は、亡くなった妻・伊邪那美命(いざなみのみこと)を追って黄泉の国(死者の国)へと赴きます。しかし、そこで見た伊邪那美命の変わり果てた姿に恐れをなして、命からがら逃げ帰ることになります。

この黄泉の国からの帰還は、神話において「死と再生」の象徴とされます。そして、黄泉の穢れを祓うため、伊邪那岐命は「禊(みそぎ)」を行います。この禊こそが、天照大御神誕生の重要な場面となるのです。

天照大御神の誕生 ― 禊から生まれた神々

伊邪那岐命は、筑紫の日向の橘の小門(おど)の阿波岐原(あはぎはら)という地で、身体を川で清めます。その際、身を洗うたびにさまざまな神々が生まれました。そして、左の目を洗ったときに生まれたのが、天照大御神です。

古事記には、「左の御目(みめ)を洗いたまひし時に生める神の名は、天照大御神」と記されています。左目という位置は、古代において「太陽・光・中心・上位」を象徴する側とされ、それにふさわしい尊さをもってこの神が生まれたことがわかります。

このことは、左が上位であるという日本の伝統的な価値観にもつながっており、例えば儀式においても左側が「上座」とされることがあります。また、神社の手水舎において「左手を先に清める」という作法は、まさにこの神話に由来するともいわれており、天照大御神が左目から生まれたことを背景に、左が清浄・尊いものとされてきた文化的土壌がうかがえます。

また、右目からは月読命(つくよみのみこと)、鼻からは建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)が生まれ、これら三柱の神々は「三貴子(さんきし)」と呼ばれ、日本神話における最も尊い神々として位置づけられています。

天照大御神の役割と意義

天照大御神は、生まれたその時から「高天原(たかまのはら)」という神々の世界を治めるよう命じられます。これは、伊邪那岐命が「最も貴(とうと)き神」として、天の世界を委ねたためです。つまり、天照大御神は日本神話における秩序・統治・光明の象徴なのです。

天照大御神の名前には「天に照る大いなる神」の意味が込められており、その存在はまさに太陽そのものとされています。現代でも私たちが日の出に神々しさを感じるのは、この神話的背景が深く関係しているのかもしれません。

終わりに ― 光の神を今に伝える

天照大御神の誕生は、死と穢れを超えて生まれた「清らかで尊い存在」であり、日本人の心の奥深くに刻まれてきた「光」そのものです。古事記を通してその神話をたどることは、単なる過去の物語にとどまらず、私たちが日々を生きる上での価値観や祈りの形を見つめ直す手がかりともなるでしょう。

神社を訪れた際、ふと空を見上げてみてください。あたたかな陽光に、天照大御神の御神徳を感じることができるかもしれません。