古代日本の成り立ちを語る「国生み神話」。そのはじまりの地として伝えられるのが「おのころ島」です。この記事では、イザナギ命・イザナミ命による天地創成の物語と、現在その舞台とされる二つの地、絵島と沼島についてご紹介いたします。
国生み神話とは
『古事記』や『日本書紀』に記される国生み神話は、日本の神話の中でも最も重要な創世の物語のひとつです。
高天原において生まれた神々の中から、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)と伊邪那美命(いざなみのみこと)の二柱が選ばれ、「この漂う国を固めなさい」との命を受け、地上世界の創造を担うことになります。
国生みの物語
天の神々から授けられたのは、「天の沼矛(あめのぬぼこ)」という神聖な矛。
イザナギとイザナミは、天の浮橋(あまのうきはし)に立ち、沼矛を海に差し入れてかき混ぜます。矛の先から滴り落ちたしずくが固まって、最初の島「淤能碁呂島(おのころじま)」が誕生します。
二柱はこの島に降り立ち、夫婦となるための神婚の儀式を行いますが、最初にイザナミが声をかけたことで儀式は失敗し、不具の子が生まれてしまいます。
改めて正しい順序で儀式を行い直したことで、淡路島、四国、九州、本州など、次々と島々が生まれていきます。これが「国生み」と呼ばれる神話です。
この物語は、自然への畏敬、男女の調和、そして儀礼の正しさを重んじる神道の精神を象徴しています。
おのころ島とは何か
神々が最初に生み出し、降り立った島――それが「おのころ島(淤能碁呂島)」です。
しかし、神話の中でその場所が具体的にどこであるかは記されておらず、古来さまざまな説が唱えられてきました。現代では、兵庫県内の絵島(えしま)と沼島(ぬしま)の二つが、特に有力な「おのころ島」比定地として知られています。
絵島(えしま)――岩屋港に浮かぶ神の島
絵島は、淡路島北部・岩屋港のすぐそばにある小さな島です。
海上に突き出たその奇岩は、遠目にも存在感を放ち、古代から聖なる島として崇敬されてきました。万葉集にもその名が詠まれ、現在も上陸は禁止されており、島全体が信仰の対象となっています。
神話に描かれた「神の降り立つ島」という印象を、そのまま視覚化したような神秘的な姿が、今なお訪れる人々の心を惹きつけています。
沼島(ぬしま)――神話の祈りが残る地
もう一つの比定地である沼島は、淡路島の南端・土生港から船でわずか10分ほどの沖に浮かぶ小島です。
この島には「自凝(おのころ)神社」があり、イザナギ・イザナミの二柱をお祀りしています。神社の背後には、天の沼矛の雫が固まったとされる巨岩「上立神岩(かみたてがみいわ)」がそびえ、島そのものが国生み神話の記憶を宿す聖地とされています。
島の人々は今も神話とともに生きており、祭祀や言い伝えも大切に受け継がれています。
比定地に見る信仰のかたち
おのころ島の実在について、確定的な証拠はありませんが、絵島にも沼島にも、神々への信仰が深く根づいていることは共通しています。
「どちらが本当か」を争うのではなく、それぞれの地が神話の心を今に伝える場であると捉えることが、神道的な視点といえるでしょう。
神話の舞台を訪ねるということは、単なる過去の探訪ではなく、自然や神と向き合う「祈りの旅」でもあります。
現代に生きる国生みの教え
国生みの神話は、単なる創世の物語ではありません。
混沌をかき回し、秩序ある国土を生み出した神々の姿には、今の私たちに通じる「創造」「協調」「感謝」といった価値が込められています。
神社はこうした神話を今に伝える場所です。
この夏、海の向こうに広がる神々の物語に思いを馳せ、心静かに祈りを捧げてみてはいかがでしょうか。
自然とともにある暮らし、神々への感謝の心――それこそが、日本の原点であり、今も息づく神道のこころです。