ノアの方舟と7月17日 ― 祇園祭と素盞嗚尊に重なる祈りの舟

古代から人は、「水」によって命を奪われ、また水によって命を守られてきました。
その象徴的な物語の一つが、旧約聖書に登場するノアの方舟です。

◆ ノアの方舟とは何か

旧約聖書『創世記』に記される「ノアの方舟」は、世界的に知られる洪水神話のひとつです。
神は堕落した人類を滅ぼすため大洪水を起こしますが、ただ一人信仰心を保っていたノアとその家族、そして動物たちは、神の命によって造られた巨大な舟に乗り込み、40日40夜にわたる洪水から救われます。

その後、方舟は山に流れ着き、神は再び「地上を祝福する」と誓います。
この再生の物語は、「神の裁きと慈しみ」「命の救済」「世界の再出発」といった普遍的なテーマを内包しています。

◆ 看過祭と7月17日

ノアの方舟に関する記念行事として、一部のキリスト教文化圏では7月17日を「看過祭(かんかさい/Noah’s Festival)」として祝います。

これは、「方舟がアララト山に漂着した日」とされる旧ユダヤ暦に基づいた記念日であり、命の再出発を象徴する日でもあります。この日は、自然災害を越えて命が守られたことへの感謝や、命の多様性・家族・地球環境への祈りを捧げる日として位置づけられています。


◆ 同じ7月17日、日本にも「舟の祭」がある

実は、同じ7月17日、日本の京都でも“命と災厄を乗せる舟”が街を進みます。
それが、京都・八坂神社の祇園祭「前祭 山鉾巡行」です。

この祭は、貞観11年(869年)に都を襲った疫病を鎮めるために始まり、以後千年以上も続いてきた厄災除けと命の平安を祈る祭礼です。

この日の巡行には、数多くの「山鉾(やまほこ)」と呼ばれる山車が登場しますが、その中に特に注目すべき山鉾があります。

⛵ 舟鉾(ふねほこ)と大船鉾(おおふねほこ)

  • 「舟鉾」はその名の通り、舟のかたちをした山鉾で、神功皇后が船出する場面を象ったもの。
  • 「大船鉾」は、かつて焼失したものが復興され、「最後の山鉾」として疫病退散を象徴しています。

どちらも“舟”という形に、災厄を運び去る・命を救う・神を乗せるといった強い祈りが込められています。


◆ 異国から届いた「祈りの布」

祇園祭の山鉾には、「懸装品(けそうひん)」という豪華な布装飾が使われています。
これらの中には、なんとペルシャ(現在のイラン)から伝来した布や、インド・中国・ヨーロッパから渡ってきた染織品も多く含まれています。

  • 舟鉾や他の山鉾を飾る布の中には、16世紀ごろのペルシャ絨毯やイスラム文様がそのまま残されているものもあり、日本の祭でありながら異国の美意識が融合する“動く美術館”とも言われます。

つまり、祇園祭はその起源からして「疫病の退散」「命の救済」「神を迎え、災いを遠ざける舟」という目的を持ち、さらには異国の文化と祈りを受け入れる“国際的な祭礼”でもあるのです。


◆ ノアの方舟と舟鉾――神と人を乗せる舟

ここで改めて気づくのは、ノアの方舟も、祇園祭の舟鉾も、共に「神聖な舟」であるという点です。

  • ノアの舟は、神に命じられて造られ、命あるものを乗せて新たな地に導きました。
  • 舟鉾は、疫病という災厄を遠ざけるために町を巡行し、神功皇后という神格化された存在を乗せ、祈りの象徴として進みます。

どちらも水=災いと再生の象徴をテーマに、舟という形に命の希望を託しています。


◆ そして浮かび上がる疑問:ノアと素盞嗚尊は同じ存在なのか?

祇園祭の本来の主祭神は、素盞嗚尊(スサノオノミコト)です。
スサノオは、日本神話における
荒ぶる海と嵐の神でありながら、八岐大蛇を退治して人々を救う「災厄除けの神」です。

出雲神話では、彼は暴れ川・斐伊川を鎮める象徴でもあり、熊野信仰や氷川信仰などを通じて、日本各地で「水を制する神」として祀られてきました。

神の命によって舟を造り、命を救ったノア。
水を従え、災いを断ち、再生を導いたスサノオ。

名前も文化も異なれど、「水による裁きと救済」「命を乗せる舟」「祈りを乗せた旅」という共通点はあまりにも鮮やかです。


◆ おわりに ― 神話がつなぐ舟の記憶

7月17日という日付に、
世界の東西で「舟」が登場し、命と祈りを運ぶという奇妙な符合。
それは偶然か、あるいは人類の記憶の奥底に刻まれた、共通の“水の神話”なのかもしれません。

ノアの方舟と、祇園祭の舟鉾。
遠く離れた文化と宗教が、舟というかたちで命を守り、祈りを届けるという共通の物語を今も紡いでいる――
そんな想像をめぐらせながら、7月の祇園祭を眺めてみてはいかがでしょうか。