阪神淡路大震災から31年──倒壊した鳥居と、震災の中で神社が果たした役割

宮司の直井です。
今年で阪神淡路大震災から31年を迎えます。私は当時小学1年生で、大きな揺れで目を覚ましたこと、その後ニュース映像で高速道路が倒れ、そこら中で火事が起こっている光景を見た衝撃は、今もなお記憶に残っています。今回は、そうした記憶を胸に、阪神淡路大震災と神社をテーマにお話ししたいと思います。

各地の神社を襲った激しい揺れ

1995年1月17日午前5時46分に発生した 阪神淡路大震災 は、神戸市、西宮市、淡路島を中心に広範囲に被害をもたらしました。
この地震では、住宅や高速道路だけでなく、各地の神社でも鳥居や社殿が倒壊・損壊する被害が相次ぎました。
石造りの鳥居は一見すると非常に頑丈ですが、直下型地震特有の強烈な横揺れと突き上げにより、根元から折れる例が各地で見られました。
また、旧耐震基準で建てられていた社殿や付属建物も、大きな被害を受けています。

被災した神社の中で見えてきた共通の姿

被災地には大小さまざまな神社があり、その被害の形も一様ではありませんでした。
しかし、被災後の対応には、いくつかの共通点が見られます。
鳥居や社殿が倒壊しても、境内を閉ざさなかった
行政指定を待たず、人々を受け入れた
炊き出しや物資配給、情報共有の場となった
以下に挙げる神社は、そうした動きを象徴的に示す例の一部です。

生田神社──「蘇りの社」と呼ばれるまで

神戸市中央区に鎮座する 生田神社 では、震災により石造りの大鳥居が根元から折れて倒壊し、拝殿も全壊するという深刻な被害を受けました。
この鳥居は、戦時中の神戸大空襲を耐え抜いた存在であり、多くの市民にとって「決して倒れない象徴」でもありました。
それが震災で無残に倒れた光景は、人々に大きな衝撃を与えました。
それでも生田神社は境内を閉ざすことなく、人々を受け入れ続けました。
2000年には本殿が再建され、戦災と震災という二度の大きな災害を乗り越えた姿から、「蘇(よみがえ)りの社」と呼ばれるようになります。

西宮神社──時間をかけて続く復興のかたち

「えべっさん」の総本社として知られる 西宮神社 も、阪神淡路大震災で大きな被害を受けた神社の一つです。
本殿の損傷に加え、国重要文化財である大練塀の破損、境内石造物の倒壊など、歴史ある境内は深く傷つきました。
南門前の石鳥居も震災で倒壊し、その姿を失いました。
この鳥居は長らく再建されませんでしたが、2025年12月、震災から30年の節目を前に、篤志家の奉納により再建され、奉納神事が執り行われています。
復興とは一度で終わるものではなく、時間をかけ、世代を超えて進められていく営みであることを示す出来事と言えるでしょう。

長田神社──倒壊の痕跡を残すという選択

神戸市長田区に鎮座する 長田神社 は、震災後の大規模火災により、周辺地域が壊滅的な被害を受けた地域に位置しています。
激しい揺れによって鳥居は倒壊しましたが、長田神社では、折れた旧鳥居の根元部分を撤去せず、震災の記憶を伝えるモニュメントとして境内に残す選択がなされました。
震災直後、境内では炊き出しが行われ、水や食料が配給され、夜も灯りが絶えることなく人々が集いました。
これは長田神社に限らず、被災地各所の神社で見られた光景でもあります。

鳥居や社殿が倒れても、神社は失われなかった

阪神淡路大震災では、数多くの神社が被災しました。
鳥居が倒れ、社殿が損壊し、境内の景色が一変した社も少なくありません。

それでも多くの人々は、
「神社がなくなった」
とは感じませんでした。

神社とは、建物そのものではなく、
・記憶を宿す場所
・人が集い、語り合う場所
・困難の中で立ち戻る場所
として存在しているからです。

31年を迎えて、いま神社が伝えること

阪神淡路大震災から31年。
街は復興し、当時の記憶を直接持たない世代も増えています。
しかし、倒れた鳥居、再建された社殿、そしてあえて残された痕跡は、
「忘れないこと」「語り継ぐこと」
の大切さを、今も静かに伝えています。
神社は災害を防ぐことはできません。
けれど、災害の中で人の心が崩れきらないための場所として、これからも在り続ける存在でありたいと思います。