皆さま、こんにちは。
毎年7月の第3月曜日は「海の日」です。
この祝日は、海に囲まれた日本において、古くから受けてきた海の恵みに感謝し、海の重要性を再認識する日として制定されました。
海の日の由来と意味
海の日の起源は、明治天皇が1876年(明治9年)、東北地方をご巡幸された帰途、灯台視察船「明治丸」にて無事に横浜へ帰着された出来事にさかのぼります。この航海の安全を記念して「海の記念日」が制定され、1996年には国民の祝日「海の日」として正式に定められました。現在では「海の恩恵に感謝し、海洋国日本の繁栄を願う日」とされています。
海に宿る神々と神道の祈り
神道において、海は神聖な存在です。
伊勢神宮外宮の豊受大神は、食物をはじめとする衣食住の恵みを司り、海の幸・山の幸を通じて私たちの暮らしを支えてくださる神様です。住吉三神や宗像三女神は、古来より航海安全や漁業繁栄、海上交通の守護神として信仰されてきました。
海の日は、こうした自然の恵みに感謝し、神々に祈りを捧げるとともに、海とともに生きる日本人の心を見つめ直す大切な日でもあります。
明治天皇の御製に込められた平和の願い
この海の日にふさわしく、海を通じて世界の人々のつながりと平和を願う和歌があります。明治天皇が詠まれた、次の御製(ぎょせい)です。
四方の海 みなはらからと 思ふ世に など波風の 立ちさわぐらむ
(よものうみ みなはらからと おもうよに などなみかぜの たちさわぐらん)
「四方の海に生きる人々を皆、兄弟姉妹と思っているこの世に、なぜ争いの波風が立ち騒ぐのだろうか」という意味のこの御製は、明治時代後期に詠まれたものとされ、日露戦争を控えた時期の情勢を反映したと見る説がありますが、正確な詠作時期や披露の場については、研究者の間でも見解が分かれています。
いずれにせよ、この御製には、国際社会の中で平和を重んじ、諍いを避けようとする深い御心が込められており、時代を越えて読み継がれてきました。
昭和天皇が受け継がれた御心
この御製は、後の昭和天皇にも強い感銘を与えました。
1941年(昭和16年)9月6日、日本が開戦か外交交渉継続かを決める重要な御前会議の場で、昭和天皇はこの明治天皇の御製を二度にわたり朗読され、
「朕は常にこの御製を拝誦して、故大帝の平和愛好の御精神を紹述せんと努めて居るものである」
と仰せになりました(※海軍軍令部記録による)。
このように、天皇が御前会議で明確に発言されたことは極めて異例であり、平和への強い願いを示された行動と受け止められています。
さらに昭和天皇は、戦後の1985年(昭和60年)の記者会見において、あらためて当時の御製引用の意図について次のように説明されています。
「会議の議題の第一に戦争準備をすることが掲げられ、また、次に平和のための努力となっていましたが、私は平和努力ということが第一義になることを望んでいたので、明治天皇の御歌を引用したのです。」
この発言からも、昭和天皇が平和を第一に望んでおられたことがうかがえます。
四方の海に祈る現代のこころ
「四方の海 みなはらから」――この御製は、争いではなく調和とつながりを大切にする心を私たちに教えてくれます。
海は国と国、人と人を分けるものではなく、むしろ結びつけるもの。自然の恵みだけでなく、海を通じた絆、そして共に生きる和の心にあらためて感謝を捧げる日として、「海の日」はふさわしい機会です。
神社は、自然の神々に感謝を捧げ、人と自然、人と人の和を祈る場です。
この海の日には、海の神々に祈りを捧げ、世界の平和と、次の世代への豊かな自然の継承を共に願いたいと思います。
皆さまの暮らしが、海のように穏やかで、神々のご加護がありますように。
心よりお祈り申し上げます。