主祭神について ENSHRINED KAMI

  • 天児屋根命
    (あめのこやねのみこと)

    当神社の主祭神である天児屋根命は、日本神話の「天の岩戸開き」の中で、天照大御神に祝詞を奏上したことから祝詞の神と呼ばれます。また、天照大御神から「天孫(のちの天皇)を助けるように」と神勅を授かり、天孫降臨の際は邇邇芸命に仕えて重役を担ったことから、天孫輔弼(天皇を助ける)の神でもあります。天皇を補佐する役割は神話の時代から長く引き継がれ、大和朝廷で神事を司った中臣氏(のちの藤原氏)の祖先神としても称えられています。
  • 御由緒

    当神社は康保元(964)年に龍王村地頭職・菅原某により創祀されたと伝えられています。鎌倉時代の記録によると、旧西二村郷(現在の川西町)には、藤原氏に所縁のある興福寺領の荘園が置かれ、その中心に春日神社が位置していました。そのため、藤原氏の氏神である春日大社から祭神を勧請したものと考えられます。

    天正年間に長曾我部元親の侵攻を受け、本殿は焼失しましたが、御神体は炎の中から救出され、寛永14(1637)年の本殿再建に際して再び奉斎されました。明治5(1872)年 8月には、旧社格制度において村社に列格されています。
  • 丸亀春日神社と天児屋根命

    当神社の氏子内である書道家・藤田讃陽先生は、昭和27(1952)年11月10日、継宮明仁親王殿下の成年式加冠の式典​において、天皇陛下に奏上する祝詞を謹書する命を賜りました。これを記念して、宮内庁から藤田讃陽先生に歴代天皇御宸翰(ごしんかん)が贈られました。この御宸翰は、のちにご家族の方により当神社に奉納されています。書聖と呼ぶにふさわしい藤田讃陽先生の功績を讃え、「讃陽先生碑」が神社の境内には建立されています。

    このように「天皇を補佐する」という天児屋根命の役目、さらに祝詞の神の御力は、現代も丸亀春日神社に受け継がれています。