神社がお好きな方なら、「出雲大社の御祭神は?」と問われれば、迷わず 大国主命(おおくにぬしのみこと) と答えるでしょう。
それほどまでに、この社と大国主命の結びつきは日本人の中に深く根づいています。
しかし──本当にそれだけだろうか。
出雲大社の境内を歩き、古い銘文や神域の配置を注意深く見ていくと、そこには意外な“もう一つの姿”が浮かび上がってきます。
今回の記事では、出雲大社の奥に潜むその謎を追う旅に、ご案内します。
素戔嗚尊の気配が色濃く残る「素鵞社」
出雲大社を訪れたことのある方なら、「御砂取り(おすなとり)」の信仰をご存知かもしれません。
稲佐の浜の砂を納め、代わりに素鵞社の砂を頂いて帰るという、出雲ならではの特別な習わしです。
この御砂取りの舞台となるのが、御本殿の背後、八雲山のふもとに静かに鎮座する 素鵞社(そがのやしろ)。
祭神は── 素戔嗚尊(すさのおのみこと)。
素鵞社の位置は極めて象徴的で、御本殿の背後、まるで大国主命を後方から支えるように建てられています。
社の背後には巨大な岩盤が露出し、そのさらに奥には踏み入ることの許されない禁足地・八雲山が広がります。
静謐でありながら圧倒的な“原初の神域”の気配。
そしてここに素戔嗚尊が祀られているという事実は、出雲大社の本質を考えるうえで、重要な鍵となるのです。
銅鳥居に刻まれた謎の銘文

出雲大社の四の鳥居──「銅鳥居」は、寛文6年(1666)に長州藩主・毛利綱広によって寄進された青銅の鳥居です。
左右の柱には長文の銘文が刻まれており、近世以前の出雲大社の姿を今に伝える貴重な史料といえます。
この文字こそが今回の謎解きの核心です。
では、その画像に写る銘文を詳しく見ていきましょう。

「素戔嗚尊者雲陽大社神也」
(素戔嗚尊は雲陽大社の神である)
「雲陽大社(うんようたいしゃ)」とは出雲大社の別称。
つまり銘文は、こう断言していることになります。
“出雲大社の神は素戔嗚尊である。”
これは現代の私たちが当たり前のように知る「大国主大神」の姿とは、大きく異なります。
なぜ、このような銘文が刻まれているのでしょうか?
中世〜近世に確かに存在した「素戔嗚=出雲大社の祭神」説
歴史を紐解くと、中世から近世にかけて、出雲大社の祭神が 素戔嗚尊 とされていた時期が存在したことがわかります。
● 神仏習合の時代、素戔嗚尊が“最高位の荒神”として特に尊崇された
● 大国主命は素戔嗚尊の子孫とされ、体系上「祖神」が前面に出るべきという思想
● 出雲国造家や社僧たちの内部の神学的整理
こうした背景から、「出雲大社の神=素戔嗚尊」が正統と考えられた時代があったのです。
寛文期に造られた銅鳥居の銘文は、まさにこの時代の祭神観を反映していると見られます。
つまり、銅鳥居の文章は偶然のものではなく、当時の宗教的空気を忠実に刻んだものなのです。
「出雲の神々の家系」から読み解く
神話を改めて見てみると──
素戔嗚尊 →(子孫)→ 大国主大神
という明確な神の血脈があります。
大国主大神は、素戔嗚尊の系譜に連なる神であり、本来「祖神が前面に立つ」ことは神学的にも不自然ではありません。
素鵞社が御本殿の背後に置かれたことも、こうした血統的・神学的関係を感じさせる配置と言えるでしょう。
つまり、
大国主大神の社であると同時に、素戔嗚尊の影響下にある社域
という二重構造が、出雲大社には確かに存在しているのです。
では──出雲大社は「素戔嗚の社」なのか?
結論を急ぐのは簡単ですが、この問いの答えは単純ではありません。
●【史実】中世の一時期、祭神が素戔嗚尊だった
銅鳥居の銘文と複数の史料がこれを裏付けています。
●【神域配置】素鵞社が御本殿背後に祀られている
これは単なる“摂社”の位置ではなく、神格の配置を象徴するものです。
●【神話】大国主は素戔嗚の血脈に連なる
二柱は切り離せない深い関係にあります。
●【現在の姿】主祭神は大国主大神として確立
近世の大造営(寛文7年)以降、現在の形に戻されました。
これらを総合すると──
■ 最終結論
出雲大社は確かに「大国主大神の社」である。
しかし、その深層には “素戔嗚の社としてのもう一つの顔” が残されている。
● 銅鳥居に刻まれた謎めいた銘文
● 神域の奥に潜む素鵞社
● 八雲山の禁足地
● 神話が示す血脈構造
これらすべてが、かつての出雲大社に存在した“別の姿”を示唆している。
出雲大社は、一つの神だけを祀る単純な社ではない。
大国主大神と素戔嗚尊という二つの神格が、時代を超えて重なり合い、この壮大な神域を形作ってきたのだ。
そして、銅鳥居に刻まれたあの一文は、今も私たちに問い続けている。
「素戔嗚尊者雲陽大社神也」──
この社に宿る“もう一つの歴史”を、あなたはどう読み解くか。
いかがだったでしょうか。
出雲大社の境内に残された痕跡を辿ると、私たちが知っている姿とはまた異なる、深い歴史の層が見えてきます。
次に参拝されるとき、銅鳥居や素鵞社をじっくり観察してみれば、きっと新しい発見があるはずです。