宮司の直井です。
バレンタインデーの今日、贈り物として親しまれているチョコレート。その原料であるカカオが、かつて神様への供物であったことをご存じでしょうか。本日はそのお話から、神社でのお供物の意義について見ていきたいと思います。
古代文明におけるカカオの神聖性
中南米のマヤ文明やアステカ文明では、カカオは単なる嗜好品ではありませんでした。とりわけアステカでは、羽毛の蛇神 ケツァルコアトル が人類に授けた聖なる植物とされ、王族や祭司のみが口にできる特別な飲み物でした。王の即位や婚礼、葬送など重要な儀式の際に神前に捧げられ、再生や生命力の象徴ともなっていたのです。カカオの学名 Theobroma cacao の「テオブロマ」はギリシャ語で「神々の食べ物」という意味を持ち、この背景をよく表しています。
神様は供物を食べるのか
ここで一つの問いが生まれます。神様は本当にそれを食べるのでしょうか。神道においても、米・酒・塩・水・海川山野の幸を神前に供えます。これを神饌(しんせん)といいます。しかし神様が物理的に口にするという理解はいたしません。供物とは、神様のための食事というよりも、感謝を形にしたものだからです。米一粒には太陽の光、水、大地、人の労苦が宿っています。その命の恵みを神前に捧げることは、「この恵みをありがとうございます」と申し上げる行為なのです。
神人共食という考え方
神道には「神人共食(しんじんきょうしょく)」という思想があります。神様にお供えしたものを後に人がいただく——これを直会(なおらい)といいます。神が食べ残したものを分けるのではなく、神と人とが同じ恵みを分かち合うという考え方です。そこには、神と人とが同じ自然の循環の中に生きる存在であるという、日本ならではの世界観が息づいています。
供物とは“心”を差し出すこと
古代の人々がカカオを神に捧げたのも、その土地で最も尊いものを差し出すという行為でした。供物とは物そのもの以上に、人の真心を表すものです。世界のどの文化にも供物はありますが、共通しているのは「最も尊いものを、最も清らかな心で捧げる」という姿勢です。それは神様に何かを与えるというより、いただいた命を神にお返しする営みと言えるでしょう。
バレンタインデーと祈り
本日はバレンタインデー。大切な人へチョコレートを贈る日です。もしよろしければ、そのチョコレートを一旦神様にお供えしてからいただいてみてはいかがでしょうか。甘い一粒の奥にある命の恵みに感謝し、祈りを込めて味わう。そのひとときが、今日という日をよりあたたかなものにしてくれるかもしれません。
神様も今日ぐらいはチョコレート欲しいはず。チョコ、買いに行ってきます。