“白光の 鱗の粉撒き 舞ふ蝶の 海原抱き 照り映ゆる 陽の神姿
己が身か 神の御心か 夢うつつ 惟神に 安らけく歩ませ給へと 恐み恐みも白す”
《 現代語訳 》
白く輝く光の粉を振り撒き舞う蝶。その姿は、五月の海原を抱くように照らす太陽(天照大御神)の神々しいお姿そのものです。夢か現か、この光の中に在るのは自分か神の御心か。境界さえ分からぬ静寂の中、ただ神のまにまに、安らかに歩ませていただけますよう謹んでお祈り申し上げます。
《 解説 》
この祝詞は「胡蝶の夢」から着想を得ています。
「胡蝶の夢」とは、中国の思想家・荘子が説いた「夢の中で蝶として自由に舞っていた自分が、目覚めて人間であることに気づくが、果たして自分が蝶の夢を見ていたのか、それとも蝶が自分という夢を見ているのか」という説話であり、自己と現実の境界が消え去る万物一体の境地を象徴するものです。
この祝詞の内容について、以下に解説いたします。
夢の中で鱗粉を撒き散らしながら飛んでゆく一羽の蝶であった己の姿を、海面に光を落とし、水面を輝かせながら沈みゆく太陽の情景へと重ねています。その太陽を天照大御神として、温かな陽光の中に神の慈しみを感じるなかで、いまここに在るのが自分自身なのか神の御心なのかも分からぬほどに、境界が溶けゆく様を祝詞に表現しました。
この温かな光の中で、神に見守られながら、どこまでも安らかに歩んでいけますようにという願いを込めています。