瀬戸内海は、古くから多くの人々が行き交い、文化や信仰が育まれてきた海です。しかし、その穏やかな海にも、かつて巨大な怪魚が現れ、人々を苦しめていたという伝承が香川県各地に残されています。
この物語は「悪魚(あくぎょ)退治伝説」と呼ばれ、坂出市、高松市、丸亀市など、それぞれの地域で少しずつ異なる形で語り継がれてきました。興味深いのは、悪魚を退治した英雄が一人ではないことです。
坂出では日本武尊、高松では神櫛王、そして丸亀では讃留霊王。
同じ物語でありながら、土地ごとに主人公が異なります。今回は、讃岐に受け継がれる悪魚退治伝説をご紹介します。
坂出に伝わる日本武尊の悪魚退治
坂出市に残る伝承では、日本武尊が八十八人の家臣を率いて瀬戸内海に現れた巨大な悪魚を退治したと伝えられています。
悪魚はあまりにも巨大で、一行を乗せた船ごと飲み込んでしまいます。しかし日本武尊たちは魚の腹の中で火を起こし、苦しんだ悪魚はついに倒れました。戦いの後、一行は悪魚の毒気にあたり倒れてしまいますが、近くの湧水を飲んで回復したとされます。
この湧水は現在の「八十場(やそば)の湧水」と伝えられ、「八十八人が蘇った場所」が地名の由来になったともいわれています。
また、坂出市内には日本武尊神社や、西山八幡宮(へその宮)など、この伝説に関わる史跡や神社が今も残されています。
丸亀では讃留霊王が英雄となる
一方、丸亀市飯山町では、悪魚を退治した英雄は「讃留霊王(さるれおう)」として伝えられています。讃留霊王は讃岐を平定し、人々を守った英雄として崇敬され、現在も讃留霊王神社に祀られています。
伝承によっては、日本武尊の子である建貝児王を讃留霊王とするものもあり、西讃ではこの系統の物語が広く伝えられています。
地域を守った英雄として、今日まで大切に語り継がれているのです。
屋島・庵治に残る神櫛王伝承
さらに東讃へ目を向けると、高松市牟礼町には「王墓」と呼ばれる場所があり、景行天皇の皇子・神櫛王の墓と伝えられています。また、庵治町の皇子神社にも神櫛王にまつわる伝承が残されています。
『日本書紀』では、神櫛王は讃岐国造の祖とされており、古くから讃岐との深い結び付きがあった人物です。そのため、東讃では悪魚退治の英雄が神櫛王として語られる伝承も残っています。
なぜ主人公が違うのでしょうか
『日本書紀』には悪魚退治の物語そのものは記されていません。現在私たちが知る悪魚退治伝説は、後世に各地で語り継がれてきた地域伝承です。
そのため、
- 日本武尊
- 神櫛王
- 建貝児王
- 讃留霊王
といった古代の皇族や英雄たちが、それぞれの地域で物語の主人公として受け継がれるようになりました。
東讃では神櫛王、西讃では讃留霊王、坂出では日本武尊というように、地域の歴史や信仰と結び付きながら、それぞれの土地ならではの物語へと発展していったのでしょう。
神話や伝承は地域の心を映す物語
神話や伝承は、歴史書とは異なり、人々がその土地を愛し、大切に思う心から育まれてきた物語です。山や海、湧水や神社には、昔の人々が自然への畏敬や感謝を託した数多くの伝承が残されています。
悪魚退治伝説もまた、瀬戸内海の恵みと脅威の中で暮らしてきた人々が、地域を守る英雄の姿を語り継いできた証なのかもしれません。
丸亀春日神社でも、このような讃岐に伝わる神話や伝承を大切にしながら、地域の歴史や文化、そして先人たちの祈りの心を未来へ伝えていきたいと考えています。